茅ヶ崎館の歴史

Home » 茅ヶ崎館について » 茅ヶ崎館の歴史

創業明治32年(1899年)、日本映画の草分け的存在の小津安二郎監督が長年にわたって定宿として使った部屋が今も残っています。明治・大正・昭和・平成の歴史を伝える日本旅館です。

大正3年頃の茅ヶ崎館

茅ヶ崎館の歴史は、明治期からの湘南別荘文化と共に歩んできました。茅ヶ崎では、市川団十郎・川上音二郎両氏の別荘が特に有名です。歌舞伎と芸能から大正・昭和の映画全盛時代へ・・・
近年の湘南ミュージックへと独自の文化が育まれて現在に至ります。茅ヶ崎館は、気軽にご利用いただける湘南の別荘としてこれからも歩んでまいります。

小津監督と茅ヶ崎館

当館に小津安二郎監督が初めてお見えになったのは、昭和12年。庭に面した二番のお部屋が常に小津監督の仕事部屋として使われました。
昭和14年、戦地から戻られた監督はこのお部屋で『父ありき』『長屋紳士録』『風の中の牝鶏』『晩春』『宗方姉妹』『麦秋』『お茶漬けの味』 『東京物語』『早春』等の数々の名作の脚本を仲間の柳井隆雄、池田忠雄の両氏や、良きコンビであった野田高梧氏とともに執筆されています。その間の来客も多く、ご自分で酒の肴を料理して持て成すのがお得意でした。煮詰まったすき焼きにカレー粉を加えた「カレーすき焼き」は最上級のサービスで、その洗礼を受けるのは、小津監督にとって親しい客人に限られていました。田中絹代、池部良、高峰秀子の各氏などは間違いなくおつきあいされた方々でしょう。その時の遺跡がいまでも天井に油染みとして残っております。

「小津映画」を構想した「二番」のお部屋へ

小津監督は、秋の構想に始まって、翌年の春にツツジとエニシダの咲く頃の脚本脱稿まで、数ヶ月間滞在されるのが毎年のきまりでした。『父ありき』『長屋紳士録』『風の中の牝鶏』『晩春』『宗方姉妹』『麦秋』『お茶漬けの味』 『東京物語』『早春』と、大東亜戦争を挟んで仕事場として使用されたのが、「ニ番のお部屋」です。

宿泊料金のご案内

Price

お部屋のご紹介

Rooms

お問い合わせ・ご相談

茅ヶ崎館に関してのお問い合わせ・ご相談は、お気軽のご連絡ください。